第一稿で名前をだしたバドパウエルについて 大槻

なぜバドパウエルに関心を持ったか。多分いつのもことで彼の生き方に感ずるところがあったからに違いない。学生時分に流行っていたのは、ハワイアンとかカントリー&ウエスタンとかだった。30才頃にジャズを知ったのはひょんなことからだったが。
当時はやっていたのは、キースジャレットの「ケルンコンサート」とかコルトレーンの「至上の愛」とか。パウエルがやったジャスは終戦前後から始まったビバップというもので、それまでグレン・ミラーとかベニー・グッドマンがやっていたスイングジャズ(ダンス音楽)に飽き足らないジャズメンが始めたモダンジャズの走りである。
当時のジャズメンの面白さとかでたらめさは「ジャズ・アネクドーツ」とか「さよならバードランド」とかの本を読めばよく分かる。チャーリー・パーカーやデイジー・ガレスピーらが始めたとされるビバップだがパウエルもピアノ奏者として仲間に入る。
チャーリー・パーカーもパウエルも麻薬や酒が原因で生涯を終えるのは共通しているのだがチャーリー・パーカーは陽、パウエルは陰の印象がある。パウエルの持つ陰は俳句の山頭火や放哉に共通する陰である。そんなところに惹かれたのかも知れない。
レコードの録音が始まったころはパウエルの全盛期は過ぎかかっていたのだがそれでも「ジャズジャイアント」のテンパス・フュージットなどを聞くと往年の彼の凄さがわかる。

日本では「クレオパトラの夢」が最もポピュラ―であろうが日本以外のジャズミュージシャンで演奏する人は少ない。日本人と外国人の感性の違いであろうか。外国人が吹き込んだそれも企画は日本だったりする。
私が一番好きなのは「バド・パウエル・イン・パリ」の中の「ディア・オールドストックホルム」。日本のジャスピアニストの明田川という人が唯一「パウエルの最高の演奏」と言っていた。アメリカでジャズが不況になったときパリに出稼ぎに行っていたときの録音の一曲である。指もろくに動かなくなってきていたが何とも言えない哀愁がある。

ある時ジャズ喫茶でだれからか聞いたのだろう、リクエストもしないのにこれをかけてくれた。こっそりと一人で聞くものだと思っていたので心の内を見られたようでなんだか恥ずかしい気がした。
ことほどさように、パウエルの音盤は後年の指が動かなくなってからの方が多いと思うが彼の演奏はテクニック必ずしも優先しない。何十枚かのCDを聞くと一枚一枚が彼の日記のように聞こえる。今日はまあまあ調子よく弾けた、今日は全然だめだった、といった風に。
パウエルのパリ時代を描いた「ラウンド・ミッドナイト」という映画がある。演じているのはサックスのデクスター・ゴードン。もちろんピアノではなくテナー・サックスを演奏する。最後はアメリカに帰りボロボロになって死ぬのだが41才過ぎたばかりであった。
